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作成: 1997/10/17 石岡 邦江
データ番号 :110002
低エネルギーイオン照射下の結晶材料におけるフォノン局在化
目的 :イオン照射下での化学結合性変化の動的過程の解明とそのための測定技術開発
研究実施機関名 :科学技術庁金属材料技術研究所
応用分野 :原子炉材料、半導体特性改質、固体表面損傷研究
概要 :
イオン照射下での実時間ラマン測定装置を開発し、グラファイトおよび半導体結晶のフォノン相関距離の時間変化および速度論的モデルについての研究を行った。実時間測定を行うことにより構造乱れの生成の速度を初めて測定し、照射の初期段階では結晶の乱れは点欠陥に起因することを明らかにした。
詳細説明 :
イオン照射は材料の表面改質やクリーニングのために広く用いられており、イオン照射を利用したドーピングやエッチングは半導体プロセスの制御においても重要な技術のひとつである。格子振動(フォノン)のラマン散乱は、欠陥生成などによる格子乱れによってそのスペクトル形状が敏感に変化するため、イオン照射後の固体表面損傷の研究に広く用いられてきた。
本研究では低エネルギーイオン照射下の物質表面の構造乱れを「その場」でモニターできる実時間ラマン測定装置を開発し、これを用いてグラファイトおよび半導体結晶の照射初期の格子乱れの形成過程の速度論に関する研究を行った。
図1に測定装置の概念図を示す。試料は超高真空チャンバー(到達真空度< 10-7Pa)内に置かれ、イオン照射は表面の法線方向に対して55°の角度で行った。ラマン分光の光源としてはアルゴンイオンレーザーの514.5 nm, 488.0 nm, 472.7 nmおよび457.9 nm光を用いた。試料からの散乱光は超高真空チャンバーのサファイア窓を通して後方散乱配置で集光し、トリプルグレーティングモノクロメーターで分光した後、マルチチャンネルアナライザーで検出した。半導体結晶の場合、レーザーの出力は試料の温度上昇を防ぐために40 mW以下に抑えた。
図1 Schematic drawing of experimental setup for real-time Raman measurements under ion irradiation.
図2 Typical Raman spectra of (a) HOPG under irradiation of 3-keV He ion and (b) the (100) surface of GaAs under 5-keV He ion irradiation.
図2にHeイオン照射下の結晶性グラファイト(高配向熱分解黒鉛、HOPG)およびガリウム砒素(GaAs)の典型的なラマンスペクトルを示す。グラファイト(図2(a))ではイオン照射によって新たなラマンピークが1360cm-1付近に成長し、これと1580 cm-1付近のE2g面内振動ピークとの強度比から経験的にフォノン相関距離(格子振動が伝播する距離)を見積もることができる。GaAs(図2(b))ではイオン照射量の増大とともに、290 cm-1付近のLOフォノンピークが低波数シフトし非対称な形になる。このスペクトル形の変化からフォノン相関距離が見積もられる。
図3 Phonon correlation length (open circles) and mean distance between defects (solid line) of (a) graphite under irradiation of 3-keV He ion and (b) the (100) surface of GaAs under 5-keV He ion irradiation.
図3に上記のラマン測定から見積もられたフォノン相関距離を、イオン照射量の関数として示す。フォノン相関距離は、グラファイトではイオン照射量の1/2乗に逆比例して、またGaAsでは1/3乗に逆比例して減少している。フォノン相関距離(完全結晶では無限大)の減少は、格子振動の自由な伝播が結晶の乱れによって阻害され、フォノンが空間的に局在化することを意味している。
フォノン相関距離のイオン照射量依存性がグラファイトとGaAsで異なるのは、結晶構造の違いを反映している。二次元結晶であるグラファイトの面内の点欠陥間の平均距離は点欠陥密度NLの平方根の逆数 NL-1/2=(NfσνΦ)-1/2で表されるが、三次元結晶であるGaAsでは NL-1/3=(NσνΦ)-1/3で表される。ここで、fはグラファイト層間の距離、NはグラファイトまたはGaAsの原子密度、σは弾き出し断面積、νは損傷関数、Φはイオン照射量である。このようにして計算した点欠陥間の平均距離を図3に実線で示した。
グラファイト(図3(a))ではフォノン相関距離と点欠陥間平均距離との非常によい一致が見られ、グラファイト面内の格子振動の伝播が一つの点欠陥によって完全に断ち切られることを意味している。他方、GaAs(図3(b))の場合には、フォノン相関距離は点欠陥間平均距離よりも二桁程度大きいが、フォノン相関距離は点欠陥間平均距離と比例関係にある。このことは、GaAsでも点欠陥がフォノン相関距離の減少を支配しているが、グラファイトとは異なり、格子振動の伝播を完全に断ち切るには複数の点欠陥が必要であるという描像を示唆している。
ゲルマニウム(Ge)についてもGaAsと同様の結果が得られており、フォノン相関距離と点欠陥間平均距離の絶対値の乖離が三次元構造結晶に共通して見られる減少であることを示している。
コメント :
イオン照射による結晶の構造乱れをラマン分光法を用いて評価する手法は一般的であるが、ほとんどの研究はイオン照射後の試料についてなされているのが現状で、イオン照射中の試料の変化を「その場・実時間」で評価した例は非常に少ない。ラマン分光法による「その場」評価は、照射による構造乱れの速度論を議論する上で不可欠であるだけでなく、新たな化学結合の形成の速度論に関する知見も得ることができるなど、利点が多い。
原論文1 Data source 1:
Raman studies of graphite lattice-disordering kinetics under low-energy He-ion irradiation
K. Nakamura and M. Kitajima
National Research Institute for Metals, 1-2-1 Sengen, Tsukuba, 305 Japan
Phys. Rev. B45, 5672 (1992).
原論文2 Data source 2:
Phonon confinement in GaAs by defect formation studied by real-time Raman measurements
K. Ishioka, K. G. Nakamura and M. Kitajima
National Research Institute for Metals, 1-2-1 Sengen, Tsukuba, 305 Japan
Phys. Rev. B52, 2539 (1995).
原論文3 Data source 3:
Raman measurements on Ge under irradiation of 5-keV He+
K. Ishioka, K. G. Nakamura and M. Kitajima
National Research Institute for Metals, 1-2-1 Sengen, Tsukuba, 305 Japan
J. Material Sci. Lett. 16, 281 (1997).
キーワード:希ガスイオン照射、グラファイト、ガリウム砒素、ゲルマニウム、実時間ラマン測定、格子振動
rare-gas ion irradiation, graphite, crystalline semiconductor, GaAs, Ge, real-time Raman measurement, lattice vibration
分類コード:110102, 110103, 110104, 110403
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