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作成: 1998/10/27 五十嵐 康人

データ番号   :160009
降水・降下塵中の人工放射性物質の分析法及びその地球化学的研究
目的      :人工放射性核種の広域再浮遊の研究とその地球化学的トレーサーとしての利用
研究実施機関名 :気象研究所地球化学研究部
応用分野    :環境科学、地球化学、気象学、放射分析化学、大気化学

概要      :
 降水・降下塵中の人工放射性核種の分析法と茨城県つくば市における観測結果について述べた。1990年代の観測結果とその解析から、大気中の90Srおよび137Csの主要な起源はいわゆる再浮遊であることを明らかにした。また、再浮遊の起源として、新たに、地球化学的に重要な過程である黄砂現象など、大規模風送塵がその主たる担い手である可能性を提案した。
 

詳細説明    :
1.はじめに
 最近では人工放射性核種の降下量は検出限界程度のレベルで推移しており、単純なモニタリングは陳腐化したように思われる。しかし、単に規制レベルを超えるのか否かを眺めるのではなく、観測値を数値化する(超微量分析に取り組む)ことにより、依然として明らかになる現象がある。現状の観測は、地球環境という閉鎖系に添加された放射能の行き方や何処(いずこ)、ということを数十年という時間スケールで調べていることに他ならない。1990年代に入ると、人工放射性核種の降下は主として再浮遊を起源とするが、なぜ再浮遊が主要と言い得るのか、また再浮遊を支える地球化学的な現象は何かについて論じる。
 
2.研究の方法
1)試料および分析法
 毎月、気象研観測露場に設置したプラスチック製大型水盤(4m2)に捕集された降下物を採取し、蒸発濃縮してプラスチック容器に充填する。Ge半導体検出器により〜数週間測定し、137Csを定量する。次いで、試料中の有機物を硝酸などで分解、溶液化しその一部を分取し、ICP-AES, -MSにより、安定元素を分析する。残りの溶液中の90Srを、安定Srを担体として、シュウ酸塩沈澱法、発煙硝酸沈澱法など6種類の沈澱分離を組み合わせた放射化学分離により精製し、最終的には、炭酸ストロンチウムとして回収、固定し、放射能測定用の試料とする。数週間放置して90Srと90Yとが放射平衡に達した後に、低バックグラウンド2πガスフロー検出器でそのβ線を測定して定量する。
 
 人工放射能の降下量は検出限界近くの水準となっているので、分析に於ける品質管理の必要性が一層増している。そこで、当研究部で保管されてきた、日本各地14地点で1963-79年に実際に捕集された降下物を有効に活用し―合併・混合して標準試料(reference material)を調製し、推奨値を得るために関係各機関に依頼し相互比較を実施した。この作業の結果、気象研の90Sr, 137Cs分析データは、各機関の分析値の平均に近く、現在の分析法が信頼できることが証明でき、また将来ともその精度と確度を一定程度担保できた。
 
3.1990年代の90Sr、137Cs降下量
1)降下量の時間変動
 図1に気象研観測露場で得られた、1957年よりの月間の90Sr、137Cs降下量を示す。1980年に気象研究所は、東京都杉並区高円寺より、茨城県つくば市に移転した。放射性降下物の量は緯度に大きく依存するが、東京とつくばの距離はおおよそ60 kmであるので、この観測記録は一応、連続したものとみなせる。


図1 Temporal variation in the monthly 90Sr and 137Cs depositions observed at MRI since 1957

 
2)放射性降下物をもたらす過程
 放射能は、対流圏を経由する過程、成層圏を経由する過程との2つで圧倒的に地表にもたらされる。しかし、これらの成分が減少するにしたがい、3番目の過程-地表に降下した放射性核種が土壌粒子とともに再浮遊する成分が重要となる。実際の降下量はこれら3つの成分の和であり、各成分の特徴を、減衰時間、放射性核種と相当する安定体との比(r/s比)、137Cs/90Sr比につき考察することで、再浮遊過程について解明した。
 
3)再浮遊の寄与は? 降下量の減衰による考察
 エアロゾルの対流圏での滞留半減期は1箇月程度で、核実験、事故などで放出された放射能の対流圏フォールアウトは、その翌年には1/1000以下となり無視できる。成層圏フォールアウトの滞留半減期は約1年である。これを137Csの年間降下量変動についてあてはめ、1980年10月の中国核実験以後の数年間に注目すると、1982年以後の降下量のカーブフィットにより、滞留半減期は約1.1年となった。チェルノブイリ事故で放出された137Csの一部は成層圏に輸送されたと考えられるので、仮に全量が成層圏由来とすれば、その減少は1.1年の減衰時間に従う。
 
 しかし、対流圏フォールアウトが無視できる1987年より1.1年の減衰曲線をのばしても、1990年代の予測137Cs降下量は、実際よりも明らかに少ない。実際の降下量はほぼ横ばいである。どうしても、再浮遊を考慮する必要が生ずる。問題はその量の見積もり方だが、値がほぼ一定となった1990〜92年の降下量の平均値を再浮遊量(R)と仮定して1987〜89年の降下量(D)について考えると、
 
 D87+t = S87+t + R = D87×exp{(-ln2/ST)×t}+ R
 
(添え字は年をあらわし、tは経過時間を、Sは成層圏降下の量、STは成層圏での滞留半減期である。)となり、成層圏滞留半減期として約0.89年が得られた(図2)。同様に1982〜85年の降下量について半減期は約0.84年となり、チェルノブイリ事故の前後で成層圏滞留半減期の値が一致することから、結果的に最初の仮定は正しかったと言い得る。従って、再浮遊過程による降下量への寄与は、少なくとも1980年代初期から無視できない程度になり、その量はおおよそ1990年代の年間降下量と考えて差し支えないことがわかった。しかし、再浮遊量は、1960年代の放射性降下物に比べると1000分の1以下に過ぎない。


図2 Deconvolution of 137Cs deposition into stratospheric and resuspension components by decay time analysis (原論文3より引用)

 
4)r/s比による考察
 核反応で生成した放射性核種には、相当する安定同位体はほとんど付随しないと思われる。また、大気圏内の核爆発では周囲の物質が巻き上げられるが、やはり量的には少ないと思われる。一方、再浮遊では、放射性核種は、土壌粒子に付着しており安定な元素により希釈されている。従って、定性的には放射能と安定同位体の比(r/s比)は、成層圏フォールアウトで大で、再浮遊では小である。もし、春季の降下量の増大が成層圏フォールアウトに由来するのであれば、r/s比は増大する。しかし、1990年代の降下物について求められたr/s比は、90Srでは20から110 mBq/mg、137Csについては2から20 mBq/μg程度の範囲で変動するが、春季の降下量極大に対応したr/s比の増大は見られなかった。従って、現在降下している放射能のほとんどは、土壌よりの舞い上がり起源である。
 
5)再浮遊の起源は? 核種比による考察
 図3に1990〜93年の月間降下物での137Cs/90Sr比と土壌での比を示す。同比は降下物では1〜5程度の範囲で変動している。1960〜70年代の放射性降下物中での同比は約1.6であり、両核種の物理半減期はともに約30年なので、当時の組成が保持される環境下では、この比は現在でも変わらない。しかし、日本のような湿潤で温暖な地域では、地表に降下した核種は降水により徐々に地下方向に溶脱・移行する。移行速度は核種の化学的性質と土壌の性質に依存する。90Srは早く溶脱し、137Csは長く地表面近くに残留する。
 
 したがって、日本の表層土壌での137Cs/90Sr比は1.6よりも大きく、10を超える場合もある。泥が舞い上がり降ってくるイメージから、冬季にまじかで砂塵嵐を見ると、再浮遊の主な起源として近傍の畑などを想像する。もしそうならば、降下物中の137Cs/90Sr比は常に1.6より大で、日本の土壌での比に近いはずだが、事実はそうならない。あらためて表土粒子の発塵について考えると、風の強い乾燥した季節に盛んになると思われる。しかし、降下量と月間降水量を比較しても両者間には逆相関はなく、表土が乾燥しても必ずしも降下量が大とはならない。


図3 Frequency plot of 137Cs/90Sr activity ratio in the 1990-93 depositions, Japanese paddy soils and Kanto surface soils  * Komamura, 1995, ** Radioactivity Survey Data 92, 93(原論文3より引用)

 こうしたことから、物質輸送の観点から注目されている大陸黄砂がむしろ重要、という仮説が提示できる。黄砂(風送塵)は春季に頻繁に、また秋季にも視認される現象で、日本列島での1m2あたりの年間降下量は数g以上になる。最近の観測により、黄砂粒子は、春季・秋季には常時上空に飛来していると考えられるようになった。太平洋の深海堆積物は黄砂由来と考えられている。また、黄砂の発生源の一つとされるタクラマカン砂漠には、核実験場のロプノールがあり、局所的な汚染が残留していたり、降水量が小さいので137Cs/90Sr比1.6が保持されてもおかしくはない。仮説が事実であれば、これらの核種は反対に風送塵の地球化学的トレーサーとして活用できる可能性が出てくる。
 

コメント    :
 本報告では、現在観測される‘放射性降下物'は、日本国内で発塵した表土粒子が主体というよりは、むしろ地球化学的に重要な過程である黄砂現象-大規模なアジア地域での表土粒子の輸送に関係しているという斬新な仮説を提示した。このような未発見または未解明の諸過程は、モデル研究や室内実験からではなく、むしろ、観測研究から見出されることを指摘したい。こうした観測データは再浮遊過程のモデル化に貢献すると共に、大規模放出など不測の事態があった場合、ベースラインデータとして活用が期待できる。
 

原論文1 Data source 1:
Recent Deposition of 90Sr and 137Cs Observed in Tsukuba
Yasuhito Igarashi, Makiko Otsuji-Hatori and Katsumi Hirose
気象研究所(Meteorological Research Institute), 茨城県つくば市長峰1-1
J. Environ. Radioactivity, 31, 157-169 (1996).

原論文2 Data source 2:
Preparation of a Reference Fallout Material for Activity Measurements
Makiko Otsuji-Hatori, Yasuhito Igarashi and Katsumi Hirose
気象研究所(Meteorological Research Institute), 茨城県つくば市長峰1-1
J. Environ. Radioactivity, 31, 143-155 (1996).

原論文3 Data source 3:
Consideration on the Source of 90Sr and 137Cs Observed in Tsukuba
Yasuhito Igarashi, Takashi Miyao, Michio Aoyama and Katsumi Hirose
気象研究所(Meteorological Research Institute), 茨城県つくば市長峰1-1
Symposium on Environmental Radioactive Nuclides Impact in Asia Proceedings, 6-8 September 1996, Taipei

参考資料1 Reference 1:
降水・落下塵中の人工放射性核種の分析法及びその地球化学的研究
青山道夫、広瀬勝己、五十嵐康人、宮尾孝
気象研究所(Meteorological Research Institute), 茨城県つくば市長峰1-1
気象研究所技術報告 第36号 (1996)

キーワード:降下物試料、90Sr、137Cs、滞留半減期、r/s比、137Cs/90Sr比、成層圏降下、再浮遊、黄砂現象、風送塵
Deposition sample, 90Sr, 137Cs, Half residence time, r/s ratio, 137Cs/90Sr ratio, Stratospheric fallout, Resuspension, the Kosa phenomenon, Aeolian dust
分類コード:160105, 160101, 160202, 160301

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