作成: 2005/11/25 山本 義治
データ番号 :020260
イオンビームとEMSを用いたシロイヌナズナ強光応答変異体の作出
目的 :イオンビームのシロイヌナズナの分子遺伝学的研究への利用
放射線の種別 :重イオン
放射線源 :重イオン加速器(135MeV/核子)(12C, 20Ne)
線量(率) :100-200Gy
利用施設名 :理化学研究所加速器研究施設(RARF)
照射条件 :大気中、室温
応用分野 :分子遺伝学、植物生理学、環境応答
概要 :
高等植物の強光応答のメカニズムの研究のために、重イオンビームを用いてシロイヌナズナの強光応答変異体を作出した。強光応答を示すレポーター遺伝子を予め植物に導入しておき、後の選抜を容易にする工夫を行った。平行してEMS処理による変異誘発を行い、両者の変異効率の比較を行った。
詳細説明 :
重イオンビーム照射による遺伝変異誘発は育種分野での実用化が試されているが、基礎生物分野においても有効な手法であると考えられる。ここではシロイヌナズナの強光応答変異体の作出に利用した例を紹介する。シロイヌナズナの遺伝学研究においてよく用いられている変異原であるethylmethane sulfonate(EMS)を併用し比較検討を行った。
シロイヌナズナの強光ストレスに対する転写応答としては、各種ストレス下においても生じる過酸化水素の蓄積に媒介されるものと、強光特異的なものとに分けられる(参考資料1)。後者に対する応答のアッセイ系がホタルルシフェラーゼ(LUC)遺伝子を用いて山本らにより確立されており(参考資料1、原論文1)、これを利用して遺伝子発現応答を指標に変異体をスクリーニングした(原論文1、原論文3)。ルシフェラーゼ活性は植物を生かしたまま可視化出来るためスクリーニングには都合がよい。発光観察には基質となるルシフェリンを植物にスプレー投与し、暗箱内に設置された超高感度カメラを用いて行った。
コンストラクトが導入されたトランスジェニックシロイヌナズナELIP2::LUCは強光ストレスを与えるとレポーター遺伝子が活性化され生体発光を示す(原論文1のFigure 1, p.669)。これを用いて、強光ストレスを与えない条件で強光応答(=強い発光)を示す変異体(nes)並びに強光ストレス下で強光応答を示さない(=弱い発光)変異体(nea)の選抜を行った。
EMS処理は0.1%及び0.3%水溶液中で一晩種子を浸し、その後水でよくすすいだ。重イオンビーム照射は乾燥種子数千粒を紙袋に入れた状態で大気中にて行った。処理の後自殖M2種子を調製し、M2芽生えでのスクリーニングを行った。まず、芽生えの外観を観察し、葉色のうすい変異体を数えたところ、EMS処理、イオンビーム照射共に非常に高い頻度で変異体が確認された(表1)。両者において最も変異効率の高い処理区で比較すると、0.1%EMS処理により10.7%、炭素ビーム150Gy照射により3.9%の頻度で葉色変異体が誘発されており、いずれも高い頻度ではあるものの、EMS処理と比べると重イオンビーム照射したものは1/3程度の変異率を示した。
M2芽生えのLUC活性を指標にnes、neaタイプの変異体を選抜し、M3世代において表現型を再確認した。nesタイプの変異体は弱光下においても強い生体発光があり、恒常的な強光応答を示した(原論文1のFigure 1, p.669)。強光応答の変異体であるnes、neaの出現頻度は、出現数が少ないためにばらつきが見られるものの葉色変異体の頻度比に準じた値を示した(表1)。
表1 重イオンビームとEMSの変異誘発率の比較。芽生えにおける葉色変異並びに強光応答の変異(nea, nes)に着目しスコア化した。
変異原 |
M1個体数 |
葉色変異体 |
変異誘発率 |
nea変異体 |
nes変異体 |
炭素ビーム
100Gy |
196 |
6 |
3.1% |
0 |
0 |
炭素ビーム
150Gy |
1001 |
39 |
3.9% |
1 |
4 |
炭素ビーム
200Gy |
1029 |
25 |
2.4% |
2 |
3 |
ネオンビーム
150Gy |
336 |
5 |
1.5% |
1 |
2 |
EMS
0.1% |
1065 |
114 |
10.7% |
6 |
11 |
EMS
0.3% |
〜500
(殆ど不稔) |
- |
NA |
- |
- |
nes変異体は強光の有無に関わらず恒常的な強光応答を示し、nea変異体は強光ストレスに対する応答が出来ない。両者は強光ストレス応答を担うシグナル伝達因子に欠損があるか、あるいは光合成装置の異常により強光ストレスの認識に問題が生じているものと考えられる。スクリーニングに用いたアッセイ系の応答特異性(原論文1)から、乾燥等他種のストレスに対する応答の変異体が含まれている可能性は低いと思われる。
以上の結果をまとめると、シロイヌナズナの変異誘発にはEMS、炭素イオンビーム共に十分な効果を示し、どちらの処理区からも目的とする変異体を得ることが出来た。組み換え技術を用いて特定の生理応答を簡単にモニター出来るようにしておくことで低労力でかつ特異性の高いスクリーニングを行うことが可能であった。得られた変異体は強光応答のメカニズムやその生理学的な意義を探る研究材料として用いられる。
コメント :
シロイヌナズナの変異誘発には変異効率の高さから脱アルキル化剤である EMSが用いられることが多い。EMSはCからUへの点塩基置換を行うので、その結果アミノ酸置換が起こり、遺伝子の機能が失われたと考えられる強い変異アレルだけでなく残存活性が保持された弱い変異アレル、また優性の変異アレルも生じることが知られている。
それに対して重イオンビーム照射は数塩基から数十塩基の小さな欠失(参考資料2,参考資料3)、あるいは数kbp(塩基対)から数百kbpの断片の大きな欠失や転座など(参考資料3)を引き起こすため、変異のタイプとしてはフレームシフトや遺伝子欠失によるいわゆるノックアウト変異が多数を占める。
従って、例えば温度感受性の変異体を求めるならEMSを、ノックアウトが欲しいなら重イオンビームをというように希望する変異タイプによる使い分けが可能である。基礎研究における重イオンビーム変異の問題点としては、大きな欠失により複数遺伝子が同時に失われてしまえばマッピングを詳細に行ったとしても変異体の表現型の原因遺伝子が一つに絞りきれない、という点がある。この問題については小さな欠失による変異アレルが必ず同定出来るようにスクリーニングの規模を大きくとっておくことで克服することが可能である。
EMSとイオンビームはどちらも十分に高い変異率を達成しており、手法としては実用的なレベルに達している。目的に応じて使い分ける、あるいは併用するとよいであろう。
原論文1 Data source 1:
Analysis of hydrogen peroxide-independent expression of the high light-inducible ELIP2 gene with the aid of the ELIP2 promoter-luciferase fusion
M. Kimura*, K. Manabe*, T. Abe, S. Yoshida, M. Matsui and Y. Y. Yamamoto
理化学研究所、*横浜市立大学
Photochemistry and Photobiology 77, 668-674 (2003)
原論文2 Data source 2:
Isolation of light stress response mutants of Arabidopsis thaliana with the aid of heavy ion beam irradiation
Y. Y. Yamamoto, T. Abe and S. Yoshida
理化学研究所
RIKEN Accel Prog Rep 37, 148 (2004)
原論文3 Data source 3:
Global classification of transcriptional responses to light stress in Arabidopsis thaliana
Y. Y. Yamamoto, Y. Shimada, M. Kimura*, K. Manabe*, Y. Sekine, M. Matsui, H. Ryuto, N. Fukunishi, T. Abe and S. Yoshida
理化学研究所、*横浜市立大学
Endocytobiosis and Cell Research、15, 438-452 (2004)
参考資料1 Reference 1:
Arabidopsis transcriptional regulation by light stress via hydrogen peroxide-dependent and -independent pathways
M. Kimura*, T. Yoshizumi, K. Manabe*, Y. Y. Yamamoto and M. Matsui
理化学研究所、*横浜市立大学
Genes to Cells 6, 607-617 (2001)
参考資料2 Reference 2:
Function analysis of phototropin2 using fern mutants deficient in blue light-induced chloroplast avoidance movement
T. Kagawa, M. Kasahara, T. Abe*, S. Yoshida* and M. Wada
基礎生物学研究所、*理化学研究所
Plant and Cell Physiology 45, 416-426 (2004)
参考資料3 Reference 3:
Analysis of mutations induced by carbon ions in Arabidopsis thaliana
N. Shikazono, C. Suzuki, S. Kitamura, H. Watanabe , S. Tano and A. Tanaka
日本原子力研究所
Journal of Experimental Botany 56, 587-596 (2005)
キーワード:重イオンビーム, シロイヌナズナレポーター, 遺伝子, アルビノ変異, EMS, 環境応答, ストレス, 遺伝子発現, heavy ion beam, Arabidopsis thaliana, reporter gene, albino mutation, EMS, environmental response, stress, gene expression
分類コード:020501